札幌時計台の歴史|なぜ有名?誰がいつ建てたのかを解説

札幌時計台の歴史について解説するアイキャッチ画像 観光スポット

札幌時計台は札幌を代表する観光スポットの一つですが、「もともと何のために建てられたのか」「誰がいつ建てたのか」までは知らない方も多いのではないでしょうか。

時計台は、北海道大学の前身にあたる札幌農学校の演武場として建てられ、その後に時計塔が設置されました。

現在の場所へ移転したあとも、図書館や公会堂などとして札幌市民に利用されてきた歴史があります。

この記事では、札幌時計台の誕生から現在までの歴史をたどりながら、なぜ有名なのか、正式名称や英語表記、クラーク博士との関係についてわかりやすく紹介します。

札幌時計台はなぜ有名?

札幌時計台が有名な理由は、北海道開拓期の歴史を現在に伝える貴重な建物であり、長年にわたって札幌のシンボルとして親しまれてきたからです。

北海道大学の前身にあたる札幌農学校の施設として建てられ、札幌や北海道の発展と深く関わってきました。

また、札幌市内にわずかに残る明治初期の木造洋風建築であり、現在も塔時計が動き続けていることも大きな特徴です。

1970年(昭和45年)には国の重要文化財にも指定されています。

建物自体は大規模ではありませんが、札幌の街の歩みを現在に伝えている点に、時計台の歴史的な価値があります。

札幌時計台の正式名称と英語表記

札幌時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」です。

演武場とは兵式訓練などを行う施設のことで、札幌農学校の生徒が兵式訓練や体育の授業を行う場所として使われていました。

また、入学式や卒業式などを行う中央講堂の役割も担っていました。

時計塔が設置されたあとは「農学校の大時計」と呼ばれ、後に「時計台」という呼び方が定着しました。

英語では「Sapporo Clock Tower」と表記されます。

札幌時計台の英語版公式サイトでも、この名称が使われています。

札幌時計台は誰がいつ作った?

札幌時計台の建物は、1878年(明治11年)10月16日に、札幌農学校の演武場として完成しました。

建設には複数の人物が関わっており、それぞれの役割は次のとおりです。

人物主な役割
クラーク博士兵式訓練を行う演武場の建設を提言
ウィリアム・ホイーラー演武場の基本構想図を作成
安達喜幸演武場を設計し、建設を監督

そのため、「札幌時計台を誰が作ったのか」という問いに対しては、一人の人物だけを挙げることはできません。

館内の二階にはクラーク博士の像がありますが、博士本人は演武場が完成する前に帰国していますので、クラーク博士が時計台の中で生徒を教えたことはありません。

建物が完成した当初は、現在のような時計塔はありませんでした。

時計塔が設置され、現在とほぼ同じ姿になったのは1881年(明治14年)です。

建設までの詳しい経緯は、札幌市時計台公式サイトの「時計台のあゆみ」でも確認できます。

札幌時計台の歴史を簡単に紹介

演武場が完成したあと、札幌時計台は時計塔の設置や現在地への移転などを経て、現在まで残されてきました。

ここからは、建物が完成したあとの歴史を年代順に紹介します。

1881年に時計塔が設置された

演武場が完成した当初、屋根の上にあったのは授業の開始や終了を知らせる小さな鐘楼で、現在のような時計塔はありませんでした。

完成式に出席した開拓長官の黒田清隆が塔時計の設置を指示したとされ、その後、アメリカのE・ハワード社へ時計機械が注文されました。

届いた時計機械は当初の鐘楼に収まらないほど大きかったため、建物に新しい時計塔を設ける工事が行われます。

そして1881年(明治14年)8月12日、塔時計が鐘の音とともに札幌の人々へ時刻を知らせ始めました。

この塔時計は電気を使わず、おもりを動力とし、振り子で時を刻んでいます。

現在も毎正時に時刻の数だけ鐘が鳴り、札幌の街に時を知らせています。(↓)

下から見上げる時計台

昔は札幌農学校の敷地内に建っていた

札幌時計台は、建てられた当初から現在の場所にあったわけではありません。

昔は、現在地より北東にあった札幌農学校の広い敷地内に建っていました。

札幌農学校の演武場があった場所には石碑が建てられています。(↓)

札幌農学校演武場跡

この石碑への行き方を簡単に説明します。

まずは、時計台から北方向に向かって歩きます。(↓)

時計台横の歩道

交差点に出ますので、ここを(渡らずに)右に曲がります。(↓)

tokeidai-northward-intersection.png

少し歩いて到着です。(↓)

歩道の左側に見える札幌農学校演武場跡

時計台から徒歩2分弱の近さですので、ぜひ足を運んでみてください。

当時の時計台は、周囲に札幌農学校の建物が並び、現在のように高層ビルに囲まれてはいませんでした。

現在の街並みの中に建つ時計台とは、周囲の景観が大きく異なります。

館内には、昔の札幌農学校と周辺の様子を再現した模型や歴史写真が展示されています。(↓)

札幌農学校のミニチュア模型をクローズアップした写真

現在との違いを見比べると、時計台が歩んできた歴史をよりイメージしやすくなります。

1906年に現在の場所へ移転した

1903年(明治36年)に札幌農学校が現在の北海道大学の場所へ移転すると、演武場は当時の札幌区に引き継がれました。

その後、道路を整備するため、1906年(明治39年)に現在の場所へ移されます。

このときは建物を解体して組み立て直したのではなく、時計塔を取り付けたまま建物全体を引いて移動させる「曳家(ひきや)」が行われました。

こうして、札幌時計台は現在の場所に建つようになりました。

市民に利用され国の重要文化財になった

札幌農学校が移転したあと、時計台は公会堂や図書館として使われ、市民の読書や勉強、講演会などの場になりました。

1961年(昭和36年)には札幌市の有形文化財第1号に指定され、1970年(昭和45年)には国の重要文化財に指定されています。

札幌時計台は世界遺産ではありませんが、北海道に残る明治初期の木造洋風建築として、歴史的に価値の高い建物です。

1995年(平成7年)から1998年(平成10年)にかけては保存修理工事が行われ、資料館として整備されました。

現在も時計台の歴史を伝える施設として公開されているほか、二階のホールは音楽会や講演会などに利用されています。

建物と赤い星に残る開拓時代の特徴

札幌時計台は木造二階建てで、明治初期に開拓使が建設した木造洋風建築の一つです。

外壁には、横長の板を重ねて張る「下見板張り」が使われています。

装飾を抑えた外観は「カーペンター・ゴシック」とも呼ばれ、西洋から伝わった建築様式と日本の木造建築技術が組み合わされています。

建物の壁や屋根に付いている赤い星は、「五稜星」と呼ばれる開拓使のシンボルマークです。(↓)

札幌時計台に取り付けられた開拓使の五稜星(南側)

北極星をかたどったものとされ、札幌時計台には全部で17個あります。

札幌時計台の外観や館内で見られるものについては、「札幌時計台の見どころを紹介!館内の様子や所要時間も解説」で詳しく紹介しています。

まとめ

札幌時計台は、1878年に札幌農学校の演武場として建てられました。

クラーク博士が建設を提言し、ホイーラーが基本構想を作成、安達喜幸が設計と建設の監督を担当しています。

1881年には時計塔が設置され、1906年には建物を解体せずに現在の場所へ移されました。

その後も公会堂や図書館などとして市民に利用され、1970年には国の重要文化財に指定されています。

札幌時計台が有名なのは、時計のある外観だけでなく、北海道の開拓と札幌の街の歩みを伝える貴重な建物だからです。

歴史を知ってから訪れると、建物や館内の展示をより深く楽しめると思います。

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